俺様の宝石さ 浮谷東次郎

浮谷東次郎
60年代の日本の4輪レース黎明期に電光石火で活躍し、そしてテスト中の事故で亡くなったレーサー

彼の14歳での原付一人旅(市川~神戸往復)は私家版として「がむしゃら1500km」(後に正式に出版)で

その彼の20歳前後のアメリカでの生活を描いたものが「俺様の宝石さ」

両国高校に通ってた18歳の時、与えられた環境で安穏としてる事に疑問を抱き単身渡米を決意
高校を中退しNYに渡米
ホームステイからホームステイでは単にアメリカで安穏としてるだけ、と一人飛び出しタイム社でメールボーイをしながらの学生生活
NYが肌に合わないと感じ、当時若者の憧れだったLAへ
そこでCB77を購入し大陸横断や全米のレースでの活躍

60年代初頭のアメリカと言えば紅花チェーンのロッキー青木氏のようにアメリカンドリームを求めアメリカに渡ることが多かったが、東次郎は自分一人で生きる為にアメリカでの生活にトライ
貧乏ライフではあるものの生き生きした東次郎の生活は当時の若者の投影でもあったように見えます

架空のキャラクターではありますが「汚れた英雄」の北野昌夫も60年代初頭はLAで優雅な生活とレースの生活

60年代初頭の若者の情熱と言うものが彼の目を通して描かれてます

読んでて思うのは、まあ東次郎さん、ちょっとむらっけだらけですね
親の金だけは頼らない!と頑張ってるのはえらいですが、拗ねたりいじけたり元気になったり、計画性が案外なかったり

この頃の東次郎さんは学費無料の大学を作るのが人生の目標で、その資金を集めるための勉強として渡米
で手っ取り早く金を稼ぐ手段としてレーサーになっていくのですが、あの事故がなかったらどうなってたのかな?
案外早くレーサーとしては引退しチームを運営とか雑誌の編集長とかになってたんじゃないかな?などと思っております

情熱が有り余り、そして常に自問自答し足掻く東次郎さん
でも彼は考えるより行動する
そんな若者の葛藤はいつの世も変わらないものですが、60年代、頑張れば報われてた時代というものへの憧れやなにやらを感じさせる良著であります