【都内城跡めぐり】 葛西城 (葛飾区青戸)

都内城跡めぐりも色々行きつくしてきてる感はありますが、まだまだ都内、城跡あるものです

今回は葛飾区青戸
環七と6号水戸街道との交差点付近、青戸7丁目東信号にあります「葛西城」

ここは第一郭(本丸)跡が環七下に埋没してしまった城跡で

辛うじて環七両サイドに残った城跡を御殿山公園、葛西城址公園としてその面影を細々と伝えております


こちらは葛西城址公園
名前だけは城址ですが、遺構や案内板もありません


こちらは対岸の御殿山公園
こちらには色々な案内板や石碑が


昭和30年代に立てられた石碑

青砥藤綱とは鎌倉時代の武士で彼の邸宅が青戸にあったという伝承から建立された石碑

葛西城は環七工事の際に発掘され、その存在が発見された城なので、それ以前から青戸付近には城跡があるという伝説でもあったのでしょう

その伝説と伝承が合わさって、青砥藤綱城の石碑も出来たのだと思われます

葛西城とは

築城者、築城年代は不明だが、桓武平氏の流れをくむ葛西氏が鎌倉期に城館として築いたとされる。中川の蛇行部を天然の堀として背後に持つ平城で、戦国期には下総国への重要な進出拠点として、扇谷上杉氏や後北条氏の支配下に置かれた。

特に国府台合戦時には後北条氏側の最前線として重用され、中川・太日川を挟んで国府台城に陣取る小弓公方足利義明や里見氏らと激戦を繰り広げた。2度の国府台の戦いで先鋒を務め、2度目の戦いで戦死した遠山綱景は葛西城の城主であった。また、後北条氏によって擁立された古河公方足利義氏の元服式が行われたのも葛西城であった。

天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐の際に戸田忠次らによって攻められ落城。廃城となるが、徳川家康が江戸に入府後は城跡に「青戸御殿(葛西御殿とも)」と呼ばれる陣屋が建てられ、3代家光の頃まで鷹狩の宿舎として利用されたが、明暦3年(1657年)頃、明暦の大火で焼失した江戸城再建の資材のために破却されたという。


なにやらかつての堀を彷彿させる裏路地

遺構はないとは言いつつも、路地などの地形にかつての面影をみることができたりします

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