不動のDKW RT125を譲ってもらい、オブジェのつもりで店に置いておきましたが、物は試しにバッテリーを繋いだら電装は生きていて驚き
エンジンの初爆も確認できたので、70年近く前の2ストの音を聞きたい欲求に駆られ、そこから4年がかりの修復作業の開始となりました
そんなテンヤワンヤを

まずはこのバイクの詳細から
autouinon DKW RT125 2/H
1957年ドイツ
2ストローク ピストンバルブ空冷単気筒 125cc
9.5馬力 83㎏
圧縮比5.9対1
最高速80km
RT125は第二次大戦前に世界で一番売れたバイクメーカーだったDKW社の125ccモデル
リジッド&ガーターフォークからマイナーチェンジを繰り返し最終モデルの2/Hではテレスコピック&フランジャーサス
第二次大戦を経てドイツの敗戦から戦後補償の一環でDKW社のパテントは全て無償開放
当時一番完成度が高かった125ccモデルRT125は世界の多くのメーカーでコピーされ、日本ではヤマハYA-1(スズキもヤマグチもトーハツetcもRT125をお手本としてバイクを開発)ハ―レ―ダビッドソンハマー、BSAバンタム、ミンスクRT125などに
世界で一番コピーされたバイクという不思議な称号も持っております
DKW社は戦前から2ストロークエンジン搭載の2輪、4輪メーカーとして成長、他のドイツの4輪メーカーであるアウディ、ホルヒ、ヴァンドラー社との4社連合autounion(オートユニオン)を結成し中核メーカーとしてリード
オートユニオンとしてのエンブレムが

4つ輪のエンブレム
今もアウディのエンブレムとして残ってますね
この4社連合もDKW社が他のメーカーを吸収していき、70年代に入り世の中の車の環境対策の流れの中で2stエンジンではイメージが悪くなる中、アウディは4st1000ccクラスのメーカーであり、そのアウディのブランドイメージを使うために社名をアウディに
今もアウディの母体はDKWと言ってもいいかと思います
不動だったDKW、まずはキーをいれてキックをするも反応なし(当然)
火花も散りません
そもそもバッテリー点火なので6Vのバッテリーをつないでキーオン
灯火類が生きてました
それだけでも驚き
まあキックは火花散らず

こういう時はまずポイントのギャップチェック!(フラマグ&バッテリー点火なんですな)
ギャップが完全に閉じてます・・・
ポイントのギャップ値もわかりませんが車載工具にシックネスゲージが入ってます
コンデンサーはもちろん死んでたので国内で簡単に入手可能なスモールベスパ用(6V)で代用
サイズ的にもピッタリ


これに合わせればOK
ギャップの調節はベスパのよりやり易い
一発OK
とうとう火花が散りました

キャブレターもオーバーホールというか洗浄と液ガスでパッキンを
でフロート室にガソリンを入れて、チャクラーを押し、シリンダーにガスを送り込み、キック
初爆は確認!
でも後が続きません
ガソリンタンクが2st混合ガソリンの腐ったドロドロで満たされており、これを綺麗にしてタンクを使えるようにしないと、これ以上の燃焼関係の進展は見込めません(点滴や別のタンクをつける手もありますが、折角なのでタンクの洗浄をすることに)

このタンク、混合ガソリン最後の頃の簡単に混合ガソリンが作れるシステム
給油口に筒がセットされておりオイルを規定量注いでおくだけであとは普通にガソリンを注げば自動的にオイルとガソリンが混ざる便利なもの(まあ2st混合なんてベスパでも同じくガスタンクにオイルを入れてからガソリン給油ですが)
でも腐った泥状のガソリンを抜くにはえらい邪魔なもの
この筒、タンクに固定されてて外せない
仕方ないので金網の部分だけ外してみました
外して良いのか悪いのか?そんなことも分かりませんが、手探りでやるしかありません
DKW MIXSystem(そう書いてある)を撤去し鼻がもげそうな匂いの腐った2st混合ガソリンを抜く
泥状なので一回では抜けません
なんどか洗浄を繰り替えしやっとかタンクはカラに
まあ予想の通り錆も酷い
ここからは花咲かGさん投入
熱湯と共に投入するも一発では錆も取り切れません
毎日錆取りをする時間もないのもあって、ここから2年間に渡る錆取りが始まります
花咲かGさんは再利用可なので真っ黒ですが何度も使うことに
営業の合間の作業なもんで、単に花咲かGさんをタンクに入れっぱなしでたまに排出を繰り返し2年
ほぼ綺麗にはなったものの最後の錆がしつこく残る
諦めようかと思いましたが、クエン酸も効果ありとのことで、100均クエン酸投入
すばらしい位綺麗に錆が取れました
今までの苦労はなんだったのやら?
いや、今までの苦労の下地があったからのクエン酸だったのか?
んで錆止めとしてこれまた100均重曹でコーティング
安いの最高!

タンクキャップのパッキンももちろん死んでます
これは耐油ゴムで自作で十分

ガソリンコックも泥錆で洗浄するも使用不可
モンキー用のコックがネジ径が一緒なので購入するがネジのピッチが違う・・・
結局無理やり装着
コックのパッキンの肉を厚くしたり、ネジに防水テープで対策を施し無事に使用可へ(4年経っても問題ナシ)
プラグも日立製が入ってましたが古いしギャップが開きすぎなのでNGKのB4を(幸い工具入れにボロボロですがスペアで入ってました。今でも取り寄せれば手に入るし400円位なのもありがたい)

日立のプラグも調べてみると当時の雑誌広告で「浅間火山レース優勝車に装着!」と
きっとヤマハ本社製ワークスYA-1にも使われてたのでしょう
2年間の苦労の末いよいよガスタンクにガソリンと2stオイル4%を入れコックをオン

フロート室のボタンがチャクラ―
フロートを無理やり押してガソリンを燃焼室に送り込む仕掛け
BINGのキャブレターはチョークすら持ってません
チョークレバーを引く代わりにエアクリーナーの蓋がスライドするので、全閉に

ここのキーを一段階右に捻りオン
もう一段階右に捻るとヘッドライトスイッチオンに
そしてもう一回右に捻るとフラマグモード
バッテリーが上がった時用の押し掛け始動モード
灯火類が点きませんがエンジンだけはかかります
いよいよキック

キックペダルが左側なのは同時代のBMWも同様
慣れはいりますが難しくもありません
流石にそう簡単にとはいきませんでしたが、70年ぶりの始動
ロングストロークだけあってボベボベって感じの排気音
公道復帰は出来ましたが、タイヤが70年前のまま
前はコンチネンタル、後ろは日本のフジクラ!!!
戦中は航空機用のタイヤを作ってたメーカーで浅間火山レース優勝車に装着の当時の宣伝が
プラグ同様YA-1が履いていたのでしょう

でも70年前のタイヤで走るのは危険極まりありません
2.5の19インチ
今だとヤマハブロンコのフロント用がそのサイズのブロックパターンなので、それを入手
リアホイールはチェーンケース付きなのでブレーキドラムとスプロケットがチェーンケース側に残るタイプ
アクスルシャフトを抜けば、簡単に外れるはずですが、リアフェンダーが深くて外しにくい(BMWならフェンダーも分割ですがDKWは車体を横に倒すのが前提なのかもしれず、ノット分割)
試行錯誤しながらホイールを外し、タイヤレバーも車載工具にあるので、出先でのタイヤ交換に慣れるつもりで車載工具&手組


プラグレンチの柄の部分がタイヤレバーになってる合理性
さすがドイツ!
70年前のタイヤなのでタイヤレバーを入れるとビートだけ崩壊
切り取るのも覚悟したら、なんとかビートが外れだしてくれました
リアタイヤはチューブだけは交換してたので、ホイールを外すところから経験はあるのに、毎度悪戦苦闘
流石にタイヤを外すのは難なく
新品タイヤには後々を考えビートワックスをきっちりと塗布
タイヤ交換もし安心して公道復帰したものの、どうもバッテリーが充電できてません

125㏄ながらレギュレーターを持ってるものの今のようなICレギュレーターでなく機械式
これが動作不良のようですが、機械式のレギュレーターなんぞ見るのも聞くのも初めて
電磁石が閉じたり開いたりして電流を調整してるようです
マイナスネジでその加減が出来るようなので、レギュレーターだけ外してバッテリー充電器につないで電圧計もつけながらの調整
なんとか7V前後に落ち着いたので、これで更に安心して遠出も出来ますな
と言うことで遠出で横浜、湘南方面へと
まだ充電が不安だったので電圧計を持参でのラン
港北イケアの時点ではちゃんと7v指してたので安心して湘南方面まで向かうのですが・・・
夕方になり気が付いたのですがヘッドライトがチラついてます
逗子の時点で充電圧が5vまでダウン・・・
またレギュレーターが不調に陥ったようで、ここからはバッテリーの電気だけで点火させねばなりません
最後は灯火類もギリギリでなんとか帰還
機械式のレギュレーターに振り回されるのも疲れたので、海外のDKW乗りが使ってるVAPE社製汎用ICレギュレーターを入手
ドイツのe-bayでの購入ですが、この先色々ドイツから部品を手に入れる機会は増えるでしょうから、よい練習だと思って購入
送料込みで5000円も失敗してもむかつく価格ではありません
ただ、世の中コロナショックが始まった頃
ドイツから無事に来るのか?
冷や冷やしながら待ちましたが、通常2週間のところ4週間かかりましたが無事到着


配線図もついてるので、簡単接続!
放熱で余電流を整流してるので風当りの良いところへ設置しないとね
ちなみに発電は直流のダイナモ
ブラシはまだ残ってるけど、これがドイツでも安くは手に入らない
寸法など計って国内で容易に入手できるブラシはクラウンコンフォート用
加工は必要ですが、廉価で簡単に手に入るのはやはり魅力

充電問題は解決してますが、過去の失敗から電圧計は欲しくなりデジタルですが6vを測定できる電圧計を(バッテリーに直付け。普段はバッテリーのマイナス端子側は外してるので問題なし)
アナログ電圧計が欲しかったが、6v対応がほぼ手に入らず、あっても2万とかなので300円で入手できたデジタルで
もし5vを指したらそこが湘南でも引き返せばなんとか帰り着く(バッテリーを12アンペアにしてるので)ので安心
この手の古いバイクに乗ると安易にレッカーを使うより「なんとか帰る」 これがデフォルトになります
出先でトラブルをなんとか解決したときの喜び、安堵感ってのも古いバイクの醍醐味です
(と言いつつオートバイ共同組合レッカーカードっつーものには加入してはあります。でも基本は自力で帰る!)
無事に普段使い出来るようになりましたが、排気のフケが悪いような
幸いDKWのマフラーは三分割できるので、ばらしてワイヤーブラシでゴシゴシ
洗面器大盛な位にカーボンカスが出てきました
これじゃフケ悪いですな
マフラー分割部のガスケットは植物のしゅろ
逆に今の時代に手に入りませんよ・・・
ここは今のマフラーガスケットテープを使用
まあこれでもOKでした
シリンダーの紙ガスケットと同じ原理でしょう


色々走らせて来るとキャブセッティングも見たくなるもの
アイドリング用のパイロットスクリューとエアスクリュー2種のスクリューが存在

パイロットで濃さを決めてからエアで最高速重視なのか中低域重視なのか決めるって感じ
セッティング次第では90㎞位出せそうですが、全開時の振動は酷いのでそこまで振らない75㎞位でれば良いよなってセッティング
このセッティングだと4st的な乗り味
下もスカスカではなく滑らかな加速
爆発的なものはないけど乗りやすい
きっとDKW RT125って実用車なんでしょうね(コピーされたYA-1はスポーツバイクと言えるけど)
アイドリングスクリュー(エアクリーナー側)は締めこむとアイドリングが高くなるタイプ
ついうっかり広げてしまって!!!になります
2stキャブの基本の全閉からの1.5から2回転戻しでだいたいOK
当時のマニュアル読むと「工場で最適なセッティングを施してあります、なので決して触らないように! くどいようだが絶対に触るな!」と╮(´•ω•)╭

ドイツのバイクなのにフランス語でひとつ前のモデルのマニュアルですが
キャブセッティングはともかくそれ以外は大いに役立ひます
でも当方ドイツ語はチンプンカンプンですがフランス語はちょこっと分かるのでその点は助かりました(いくらネットで翻訳出来ても、当時は文章は打ち込まないといけなかったので、チンプンカンプンなドイツ語を打ち込まないだけでも楽でした)
調整は1/2回転より1/4回転ずつ様子見をした方が良いです
最初から良いセッティングを出したのに、下手に色気を出してしまい一回は迷い道へ(2㎞位押して帰ってきたり色々)
最終的に最初のセッティングが良い事が判明
失敗は成功の母であります

アクセルワイヤー、ブレーキワイヤー、クラッチケーブルもリプロ品がありセットで送料込みで2600円
アクセルはスライド式
定期的なグリスアップが必要ですが違和感などは無し
後付けでバーエンドウインカーを入れてしまったので、毎度ウインカーを外さないとなのがちょっと整備性悪し

キャブレターがシリンダーにマニホールドなしの直付けに等しいので連続走行(1時間オーバー)で熱ゆがみからアクセルが激渋になりがち
ニードルホルダーにペーパーをかけつつ、トップの蓋もきっちりと締めこまない事とか、古いバイクならではの扱い方は必須ですな
2stなのでミッションオイルが必要ですが、シングルグレードの50(400㏄)
現在の10W-40とか入れてみましたが、ケースより染みてきます
そりゃケースのシール類を変えてないので当然でもありますが、SAE50なら染みないので、そんなものとも・・・


ドレンボルトの位置は今一つ
オイルを抜く際にセンタースタンドにオイルがかかってしまうのでオイル交換の際には工夫が必要

1957年当時だとウインカーもミラーも不要だったようです
ウインカーは60年代に入って後付けしたようですが少ないバッテリーで前後のウインカーは厳しいかと思い、でもウインカーはあった方が良いので(ハンドサインウインカーは周りが知らない事が多く今の世では危険と判断。あとはハンドサインをするのがメンドクサイ)バーエンドウインカーに
バーエンドウインカー&ヘッドライトケースから生えるミラーの組み合わせは同年代のBMWのミュンヘン工場生産版、通称ミュンヘナーから拝借(DKWはこの当時バイエルン生産だったはず)

サドルも当時ものですが、当初はひび割れもなく状態良好でしたが、自分が跨ってたらひび割れてきてしまいました
リプロもあるのですが送料が馬鹿にならず、靴用のゴムパテで補修
裏から当てゴムで補強もして見栄えは今一つですが当時ものが今でも使えるのは良い事です
となんとか公道でも交通の流れに乗れるし、冷間時でもキック数発で始動する優秀さ
公道復帰から数年経ち色々分かってきて更に愛着も湧いてきました
人生最後の愛機になるかもしれないこの個体、大切に乗っていきたい所存であります