多摩墓地の南西にあるこんもりした丘 浅間山
堂山と中山、前山の三つの丘が連なる古代多摩川が削った土地
鎌倉時代の武将 人見四郎の城があったなんて説もある(墓があったという伝承も)土地
城跡かもしれないなら見学しなければ と散策
東八道路から行けば簡単ですが、ここは敢えて浅間山と関連のある人見街道で行くも古い道故に渋滞しない時間帯でもスイスイとはいきません
人見街道は杉並の大宮八幡から大國魂神社を結び、人見村を通ってたので人見街道と呼ばれていて人見四郎さんとの関連は実は定かではありません
浅間山、今は公園になってるのですがバイクの駐輪場はなく、ちょっとそこは手こずりましたが無事駐輪


整備された公園ですがこんな感じ
ちょっとしたハイキングにもぴったり

まずは前山山頂の人見四郎さんの墓所跡
まあ、あくまで伝承です

途中の高台、天気が良ければ富士山も見えるのですが、この日は曇りで見えません

何もない真ん中の中山山頂

堂山が浅間山と呼ばれ

人見浅間神社が頂にありますが、とても小さい祠と鳥居
172㎝の自分でもしゃがまないとくぐれません

ご神体はなんなんでしょうね?と思ったら木花開耶姫命 コノハナサクヤビメ 浅間神社のご神体としては当たり前でした
もともとは中山の泉から観音像(5㎝位)が出てきて、それを祭った観音堂が起源だったそうで、もしかしたらその観音様が木花開耶姫命として祀られてるのかもしれませんね

人見が原古戦場
南北朝時代に足利対新田の武蔵野合戦の一つとして戦われた人見が原の戦いの場所と言われてる開けた土地
このような伝承や古戦場跡、そして地名から人見四郎の名がついてしまったのかも
実際この土地を散策しても城跡としての堀切も土塁も空堀もそれに思われるような形状もなく城跡であった、人見四郎の館があったのはあくまで伝承に過ぎないかと
とは言え富士信仰の地として、長いこと地元民に慕われていた地であることには変わりはなく、戦中に軍の施設、戦後の米軍の接収地として残ったことで開発も行われず今も公園として残ったのは幸いでありました