久しぶりの城跡巡りは埼玉から神奈川へ
とは言っても小田原北条氏の支城 津久井城

津久井湖観光センターの駐車場の前に見える山が津久井城跡

標高は380m この観光センターからは180m位の登り、整備もされた登山道でハイキング気分で登れる山ではあります

ハイキング気分とは言っても道は狭いしすぐ横は崖
足元もフラットとはいきませんしヒルも居ます
登山道は緩やかだけど時間のかかる女坂(この写真)と勾配はきついけどショートカットできる男坂の二つ
女坂経由で山頂まで40分位

山頂の尾根部分を郭とした山城であります(有名な山城は同じく北条の八王子城があります)
単に尾根を城とするだけでなく防御のために溝(堀切)を掘って敵の進撃を防いだり

本郭の所の堀切
本来はここに橋が架かってたはず
戦闘時は橋を動かすか、壊すかし敵の侵入を防いでくれます
西洋の城だと跳ね上げ式の橋のイメージですね

このこんもりした盛り土は土塁
土壁
城壁の一段階前の形態と言ってもいいかと思いますが、この上に柵を立てそこから侵入者を攻撃したり、この土塁の向こう側は空堀になっており勾配もきつく見た目以上に突破の難しい障害です

山頂からの眺めは圧巻

北条氏の支城で特徴的なのが烽火(のろし)台
北条氏の支城は比較的狭い間隔で点在しており、その理由は烽火による通信体制で敵の侵入を仲間の支城に連絡し支城からの援軍をもって撃破する連携をするためとも
しかし豊臣の大軍勢の前には各支城が包囲されて連携をとることもままならず撃破されてしまいましたが(北条氏が各支城から将兵を小田原に集めてしまった為に戦いようもなかったのもあります)
北条氏は甲斐の武田氏とも鎬を削っており武田氏の小田原侵攻の際の三増峠の戦いにおいては津久井城は周辺を包囲されてしまい出陣もままならない状況に陥ってしまったと伝承されてます



本郭から1つ向こうの郭は飯縄郭
飯縄神社があります
戦国期の城は必勝や安全を祈願しご神体を祀ることが多く、それ故に城跡が神社仏閣になってることが多いです
飯縄神社は日本武尊をご神体としており、津久井城廃城後も地元民から信仰を集め城山神社として存在し後に飯縄神社として再建されたようです
八王子城も八王子権現大師を祀ったので八王子城
町としても横山と呼ばれてたエリアが八王子と呼ばれるようになった由来でも



城跡にはいろいろ井戸の伝説がありますが、今も水をたたえる井戸は稀
籠城しようにも水が無ければどうにもなりません
山城を築城する際には水脈を切らないように堀切や竪堀を掘ったり、むやみに木を切るのも咎められてたと
山城は戦闘時の陣地や周囲の監視、烽火による通信施設としての性格が強く常時は麓の根小屋と呼ばれるエリアに屋敷を抱えます
今回は時間と体力が尽きたので根小屋エリアの散策は断念しましたが、本来の登城口も津久井湖とは反対の根小屋側かと
その散策は次回の楽しみに