悲運のGP500マシン ケーニッヒ500

1973年に当時無敵だったMVアグスタに真っ向から戦いを挑み、ユーゴスラビアGPでは見事に勝利を挙げた水冷2stマシン ケーニッヒ

驚く事に、このケーニッヒはエンジンメーカーのケーニッヒ社製とは言っても、一人のエンジニア兼ライダーの手によって作られたに過ぎないバイクであることです

そしてそのエンジンはパワーボート用の水冷水平対抗4気筒2stエンジンにノートンマンクスのギアボックスを装着したもの

それを簡素なバックボーンフレームに搭載しただけのマシン

横置きクランクなので、180度のV4エンジンともいえる配置

 

 

そのマシンを駆って、エンジニア兼のK・ニューコム選手は73年のランキング2位を獲得

折りしも73年はヤマハもGPに復帰し500ccクラスに水冷並列4気筒2stエンジンのYZR500を参戦させ、いよいよGP500も2stの時代の幕開けの時でありました

 

残念な事に開幕戦勝利を挙げたヤマハのJ・サーリンネンはイタリアGP250ccにおいて転倒死亡してしまい、73年残りの参戦をキャンセル

 

ケーニッヒを駆る、ニューコムも度々MVと競い、表彰台をゲットしつつ勝利を虎視眈々と狙い、見事ユーゴスラビアGPに於いて優勝!

タイトル奪取は無理としてもランキング2位で74年のチャンピオン獲得に弾みをつけシーズンを終了したいところでした
またもや残念なことに、最終戦スペインGPの前に行われたイギリスでのインターナショナルレース(国際格式のレーサーを招いて行われる興行レース、ギャラはGPよりも良い事もあり、当時のレーサー達は参戦資金稼ぎにこぞって参加してました)で転倒死亡してしまいました

 

ニューコムの活躍に触発され、ケーニッヒのマシンを欲しがるユーザーの為にケーニッヒ社はコンプリートマシンやキットパーツを発売してましたが、ニューコムの死亡により、その発売も中止に

しかしながら少数の市販レーサーは74年のGPを走り、ポイントゲットを繰り返しました

 

厳しい資金繰りやメカとライダー二人の体制の中、ましてやプレイベートマシンでの参戦はマシンのポテンシャルをフルに発揮するのすら困難、そんな中での勝利は74年において更に充実した体制を整え、マシンもワンシーズン戦い更に改良も進んだだろうし、まだヤマハのマシンも熟成が進んでおらず、タイトルを取る唯一のチャンスの年でした

 

その栄光を目前の無念の死

ライダーとマシン共に悲運と言ってよいでしょう

 

ケーニッヒのエンジンは、そのコンパクトさとハイパワーからサイドカークラスにも投入され、TZ500エンジンが主流になるまでの間、BMWの水平対抗2気筒エンジンを脅かし続けました

 

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